私たちは家族になった

宇宙から来た子どもたち

私たちは家族になった〜インド編3話

(インド編第3話)

※私たち家族のお話しを綴ります。

主に私と子どもたちのことですが、まずは私のこと、旦那(ネパール人)との出会い、インドやネパールでのエピソードなどから記していこうと思います。しばしお付き合いを。

 

 

インド編 第3話

 

この旅のメイン。

実はインドではあるのですがネパールでもあったのです。

 

前回(インド編第2話)でお話しした通り、私は山が好きになっていました。

山小屋での生活で、自然のリズムを体感してから、このリズムの心地よさにハマってしまったから^ ^

 

ヒマラヤを歩く。

これが今回の旅のメインイベントです。

 

f:id:agar31:20210114233352j:image

ネパールの空港に到着して驚いたこと、それは国際空港としてはローカルすぎるところでしょうか。

カトマンズの街並みと同じレンガ作りの小さな空港です。

 

今回の入国ではありませんが、娘を連れてネパール入りした時のこと、ビザを入国時に取得したのですが、面倒な手続きを懇切丁寧に優しく教えてくださり大変助かりました。

その時のネパール入りの目的が旦那さんの遺骨を村へ運ぶ事であった為、娘がネパール人とのハーフであることを知った入国管理官の方がたいへん良くして下さったのです。

初めてのネパール入国時にはあまり感じなかったことですが、彼らは私たちが身内的な関係であると判断すると一肌脱いでくれるところがあります。

「あなたの気持ちお察しします」のような感じですね。

※この辺りはネパール入国後編で詳しくお話ししますね

 

外国人にも決して冷たい訳ではありませんが、やはり社交辞令的な親切感ではありますよね。

温かく優しい人柄な方が多いのですが、外国人とネパール人という大きな壁は確かにありました。

 

私は今回の初めてのネパール(ヒマラヤ)へ来た時の感覚が忘れられません。

繰り返しになりますが、なんとも言えない懐かしさを感じていて、標高の高さでカトマンズですら軽い高山病が出る方もいる中、益々元気とパワーが出てくるのです。

 

 

さあ、そろそろ空港から出て市街地へ向かいましょう。

久保田早紀の「異邦人」の唄のような街が待っています。

 

f:id:agar31:20210115001817j:image

まずは空港から街まで走るバスに乗りましたが、これがまたものすごく混雑していて、日本の空港から出るリムジンバスを想像していたら痛い目に遭いますね。

 

実は空港も経由する周回路線バスなのですでに人が多く、座れないまま街まで行くことになりました。

疲れていたし、荷物も大きかったので、タクシーにすれば良かったと後悔しています。

 

ネパールの車やバスは古いものばかりで、日本の中古車を改良して、なんとか走らせているような車もありました。

排ガスも真っ黒でガソリンが悪いものなのでしょう、街を歩く人々はマスクをする人もいました。(今ではマスクは当たり前ですけどね)

 

街へ降り立ち宿までの道を歩きながら最初に感じた印象は、現地の人々はどこへ向かうでもなく、ただユラユラと漂っているように見える、でした。

目的の見えない人々が遊ぶでもなく、働くでもなく、ただユラユラと、そんな風にしか見えないんですよね。

そしてこちらをジィっと見てる。

街を彷徨く牛も見てる。

犬はたくさん居て昼間は大概寝ていますが、夜になると群れをなして騒ぎだすので怖いですよ。

ネパールもインドもそうですが狂犬病の犬が結構いますからね。

 

 

さて、初めて泊まる宿は、安宿が密集するジョッチェンやタメルと言った地区ではなく、カトマンズの中心「ダルバールスクウェア」からジョッチェン地区を抜けて川の方へ下って行き、川を渡った先にある家族経営のかわいいゲストハウスでした。

 

必ず迷子になる「放射状の街」

昔のヒッピー達の街「ジョッチェン」

私が行った当時はまだ新しいツーリスト街「タメル」

こじんまりとした街の周囲を走る環状線「リングロード」

街には野良牛が徘徊する不思議な光景。

 

飽きのこない、過去にタイムスリップしてしまったようなこの街は、今でも私のお気に入りです。

 

※街や人、周辺観光についてはまた今度(旦那さんとの出会い編のあたりで)お話しします。

 

数日はカトマンズやパタンなどの散策をして過ごし、この街が楽しくなってきたところで、そろそろヒマラヤへ向かうことにしました。

 

地図、ランプ、食料、シュラフなど必要なものを買い込んで、さあ憧れのヒマラヤへ!

 

続く

 

舞呼maiko